アルファ・ロメオ 100年の栄光と衰退 その8 1900 と ジュリエッタのはざまで
“1900”ベルリーナは、いまだアルファ・ロメオの名が知られていなかった当時の日本に2台が新車で輸入されている。そのクルマは現在の天皇陛下が運転なさったという逸話のあるクルマだ。
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さてその頃、アルファ・ロメオでは秘かにスポーツカーの生産を模索していた…。
“1953 6C 3000 CM SPIDER”
直列6気筒 DOHC 3495cc 275ps/6500rpm 最高速250㎞/h
フェラーリを追われたジョアキッーノ・コロンボを迎え入れたアルファは、主任設計者オラツィオ・サッタとの共同作業で“Disco Volante”を試作した。しかしトゥーリング製の特異なボディが操縦性に影響し開発中止となる。その経験を生かして新設計されたスペースフレームに直列6気筒エンジンを搭載したクルマが 6C 3000 CM だ。3.5ℓの6気筒エンジンは6キャブレターを搭載している。
このクルマの最大の目的は、かつて自らが完全に掌握していたミッレミリアを新興フェラーリの手から取り戻すことにあった。そのために53年のミッレミリアには4台のワークスクーペを送り出したが、偉大なるドライバーのファンジオの腕を持ってしても信頼性の低さはどうしようもなく、レース終盤でタイロッドが折れるというトラブルで2位にとどまり、4.1ℓのフェラーリに勝利を奪われている。その後はルマンなどの数戦に出場、速さでは常にフェラーリを凌いだものの信頼性を欠き、いずれもリタイアに終わっている。
唯一の勝利は、このスパイダーが参戦した53年にメラーノで行なわれたスペルコルテマッジョーレGPで、ファンジオのドライブで1位でフィニッシュしたのが最後の勝利となった。
“1954 2000 SPORTIVA”
直列4気筒 DOHC 1997㏄ 138ps/6500rpm 最高速220㎞/h
ベルトーネのフランコ・スカリオーネによる華麗なGT。06年の日本版ミッレミリアに参加していたのをご覧になった方も多いと思う。残念なことに2台のクーペと1台のスパイダーが試作されて終わっている。直列4気筒ながら最高速は220㎞/hを誇り、リアサスは高度なド・ディオン・アクスルとなっていた。古典的なリーフ・リジットの足回りをもつフェラーリ250GTをある面凌駕した性能をもっていたようだ。
“1954 1900 SUPER SPRINT”
直列4気筒 DOHC 1884cc 115ps/5000rpm 最高速180㎞/h
デザインとコーチワークはトゥーリング。1900ベルリーナと比べはるかにエレガントなたたずまいを見せる。
“1952 MATTA”
直列4気筒 DOHC 1884cc 65ps/4400rpm
奇妙に思われるかもしれないが、これもアルファ・ロメオなのだ。イタリア陸軍に正式採用された。4輪駆動軍用車なのにDOHCを採用しているのがアルファらしいところだが、複雑なDOHCはメンテナンスが大変という現場の声が多く、たった2年間でフィアット・カンパニョーラに替えられた。メンテナンスが簡単だったというのが理由だったようだ。