Le Mans Classic 2012  1GRID 1923 - 1939+ Entrants Part 2


1935 Aston Martin Ulster
Aston Martin 1500cc 4cyl.
 1927年、Aston Martinの経営権は、レーシング・ドライバーの A. C. Bertelliに移譲された。彼は 1.5リッターでドライサンプ潤滑のSOHCエンジンを開発、ル・マンで活躍する Ulsterに搭載された。
 Aston Martin Ulsterは戦前のクルマの中で、最も尊敬されるべきレーシングカーの中の1台である。基本は前モデルの MkIIをベースに設計された。
 1934年は Goodwoodで行われた British Tourist Trophyに於いて1‐2‐3フィニッシュを達成。1935年のル・マンに於いては、Roy Ecclesチームの#29 Aston Martin Ulsterが Charles E.C. Martin / Charles Brackenbury組によって3位でフィニッシュ、1.5リッター・クラスで優勝の栄誉に輝いた。




1937 Aston Martin 2 litre Speed
Aston Martin 2000cc 4cyl.



1937 Aston Martin 2 litre Speed
Aston Martin 2000cc 4cyl.

 'Speed Model'はツーリング・モデルの2リッター 15/98のレーシング・バージョン。23台ものシャシーが、1936年のル・マン参戦規定を満たすために製造された。2台のワークス・マシンが仕立てられたが、この年のル・マンは国内の労働争議が多発、ナチス・ドイツの軍備増強など社会不安が広まったとのことで中止となってしまう。しかし'Speed Model'は、その後のレース Ulster TT, 翌年の Le Mans, Spa, Mille Miglia, Brooklands と Donningtonなど、多くのレースに挑戦し歴史に残る結果を残している。またレースによって、その競争力のある速さと信頼性が証明された。
 1937年のル・マンでは、C.T. Thomasチームによって#31の 2 litre Speedが Mortimer Morris - Goodall / Robert P. Hichens組によって11位でフィニッシュしている。



1937 Aston Martin 15/98 Short Chassis 2/4 Seater Sports




1937 Morgan 4-4
Coventry Climax 1098cc 4cyl.

 1936年、4-4は Morgan Motor Company初のクルマとして登場した。 後に'4/4'と称される'4-4'の意味は、4気筒4輪を意味する。'4-4'が出る前は3輪Vツイン・エンジンの3ホイラーのみであった。1936年から戦争が始まる 1939年までの総生産台数は663台。 Meadow社製の4速ギアボックスを備え、エンジンは34馬力を発生するCoventry Cimaxエンジン。フレームは木骨である。これは今日まで変わらないことは有名。
 ル・マン仕様は、軽量化のためにフロント・フェンダーはサイクル・フェンダーに置き換えられ、リア・フェンダーも前側が切り取られている。当時のル・マンの規制により、ドアも廃止されている。スクエアな後ボディはなだらかなものに替えられ、2個の燃料口を覗かせている。この個体のフロント・グリルは3ホイラーに用いられていた初期のメッシュタイプに、フロント・スクリーンはスクエアなものに交換されている。Coventry Cimaxエンジンは慎重に分解され、勝利が望める 1100ccクラスにエントリー出来るよう、排気量は 1098ccに縮小された。キャブレターはSUツインで強化されている。
 1938年のル・マンに於いて、Miss P.M. Fawcettの#40 Morgan 4-4が Marjorie Fawcett / Geoffrey White組により総合13位(1.1リッター・クラス5位)でフィニッシュしている。ドライバーの Marjorie Fawcettは25歳の女性である。


1938 Le Mans #40 Morgan 4-4 Marjorie Fawcett / Geoffrey White