Le Mans Classic 2012 3 GRID 1957 - 1961+ Entrants Part 5 Peerless GT


1958 Porsche 718 RSK
Porsche 2000cc Flat-4.




1957 Aston Martin DBR1
Aston Martin 2900cc 6cyl.



1960 Aston Martin DB4 GT
Aston Martin 3700cc 6cyl.



1958 Peerless GT
Triumph 2200cc 4cyl.

 これは初見の珍しい個体。

 TR-3をベースに、よりスタイリッシュで快適なクルマ。。。
 1956年、英国の James Byrnesは熱心なモーター・スポーツのエンスージアストであったが、いつか自分仕様のクルマを作りたいと熱望するようになった。Jamesはエンジン・チューナーの Bernie Rodgerと組んで、夢の実現を果たします。それが Peerless GT。
 安価なGTを造るために、Triumph TR-3のメカニカル・コンポーネンツを利用するのは当然の帰結でもあった。試作車は、Byrnesが経営するレストランの常連さんのクルマの提供を受けることとなった。Bernie Rodgerは直ぐにクルマの制作に取り掛かり、軽量な鋼管フレームのシャシーに TR-3のコンポーネンツを組み込んだ、2シーター、アルミボディのクルマが 1957年に完成した。完成後、徹底的なテストを行ったクルマは、最高速度が 192km/hと予想を超えた性能の良さに、満足のできるものとなった。
 Byrnesは戦友であり、Rolls Royceの中古ディーラーの経営者であった、John Gordonに出来上がったクルマを披露した。Byrnes同様にモーター・スポーツのエンスージアストであった Johnは、市場は2+2の実用的なスポーツ・カーを欲していると、Byrnesに助言した。シャシーは延長されて4人乗りとなり、その副産物としてド・ディオン方式のリア・アクスルを採用することとなった。

 クルマは1957年のパリ・サロンにて展示され、会場では評判となった。Byrnesは英国に戻ると、直ぐに Triumphの工場まで自走し、Lyndon Mills, Harry Webster, Martin Tustin と Alick Dickの Triumph幹部と会見、彼らは部品の安定した供給を約束した。
 Jaguar dealership for BuckinghamshireにあったJaguarのディーラー Peerless Motorsが生産拠点兼管財人となって生産が開始された。アルミのボディーはより安価なファイバー・グラス製となり、Triumphからの部品供給も安価な価格に収まり、生産の見通しが立った。1台の生産に10日が費やされることとなった。
 パリ・サロンで得られた感触では、年間1500台の販売が可能と思われた。あるアメリカの代理店は最初は80台をオーダーし、直ぐに150台が追加注文された。ジャーナリストに貸し出すと好評で、欧米で評判となり、"Sports car for the family man"と称された。

 更なる宣伝効果を求めて 1958年のル・マンに挑戦。ほぼ雨という悪天候の中、堂々16位でフィニッシュ、クラス優勝も勝ち取った。

 注文は順調であったが、何せ手作りのグラス・ファイバーボディの所為で、週1台造るのが目一杯の状況であり、納車は遅れて経営を圧迫するようになってきた。製造台数につれてグラス・ファイバーの型も作り直さなければならない、これがまたコストに響いた。当時、吊るしの TR-3が税込 1000£で買えたのに、 Peerless GTは 990£ + 税 500£と、ほぼ1.5倍の価格となっていたのもネックだった。
 悪いことに2番目の金型を造ってから、受注残は減り始めた。
 最終生産数は325台となり、会社は経営難で解散。Warwickに受け継がれ、それが後、1964年には Gordon-Keebleとなる。


1960 Peerless GT Phase2