アルファ・ロメオ 100年の栄光と衰退 その12 2000・2600 シリーズ

1900の後継車となった2000 Berlina。1900のエンジン、サスペンションなどをそのまま流用して、モノコック・ボディを根本的に新設計して57年のトリノ・ショーに登場させたのが2000。ホイールベースは2720mmに延長され、全巾も1700mmに拡げられたので6人がゆったりと乗れるようになったが、車重は1445kgに増えたため、105HP/5300rpmと15.5mkg/3500rpmにチューンされたエンジンでも最高速は1900と同等の155km/h。ミッションはこの2000からベルリーナにも5速フルシンクロのコラムシフトが全面的に装備された。アメリカナイズされてクロムメッキが多用されトランクの両端には大型のテールフィンが突き出したエクステリアは、もっとシンプルで個性的なクルマを望んでいたイタリア人を失望させた。エンジンはパワーアップされたものの、2000の最高速は重量増によって1900と変わらず、加速も悪化していたし操縦性はよりダルになっていた。240万リラで販売されたアルファのトップモデルは市場に見放され、5年間の販売台数は2893台に留まっている。



“1960 2000 SPRINT”(right)
直列4気筒 DOHC 1975cc 115ps/5900rpm 最高速175㎞/h

2000 Berlinaは失敗作だったが、こちらのスプリントはアルファのデザインの歴史上重要な存在となる。
4灯のヘッドライトがグリルに組み込まれ、ボンネットからバンパーへと滑らかな一体感を出している。このデザイン手法はその後今日にいたるまで、アルファだけでなく、ほぼすべてのクルマに使われるようになるのだ。


フロントエンドと比べておとなしいリアデザイン。

これをデザインしたのはヌッチオ・ベルトーネのもとで働き始めたばかりのジウジアーロ。しかも彼のデビュー作だったのだ。その基本的なラインは、後のジュリア・スプリントに受け継がれていくこととなる。ホイールベースはベルリーナより短い2580mm。エンジンはスパイダーと同じもので、ツインチョーク・キャブレター2基を備え、ミッションは5速フロアシフトだった。
2000スプリントは、290万リラと高額(スパイダーよりも40万リラ高い)のため、スパイダーよりもニッチ・モデル的存在だった。3年間の生産台数は700台。



“1962 2600”(left)
直列6気筒 DOHC 2584cc 130ps/5900rpm 最高速175㎞/h

戦後の6C2500以後小型の4気筒車ばかりを作ってきたアルファ・ロメオは、6気筒の高性能なフラッグシップを発表する機会をねらっていたが、1962年ジュネーヴショーで、販売不振の2000にカンフル剤を打つべく兄弟モデルの2600がデビューした。新開発の6気筒エンジンは2000のボア×ストローク84.5×88mmを83×79.6に縮小してさらに2気筒を加えた2584ccで、明らかにライバルの2458ccエンジンをもつランチアフラミニアより上をねらったもの。DOHCのメカニズムは基本的に2000やそれ以前の1900と同じで、6気筒最大の7個のメイン・ベアリングを採用している。チューニングは標準のベルリーナ用が2個のソレックスPAIA4型キャブレターと圧縮比8.5の130HP/5900rpm,20.5mkg/3400rpm。ボディは基本的に2000のものを流用しており、ボディはフロントとリアがより高く角ばり、クロムメッキが減らされ、デュアル・ヘッドライトとテール・ランプが大型化されている。車重は1440kgで,5.125のファイナルと165×400 ピレッリ・チンチュラートHSかミシュランXAタイヤ付で、0−40km/hまで2.8 秒、60km/hまで5.4 秒、80km/hまで8.8秒、100km/hまで13.秒、120km/hまで18.9秒、140km/hまで27.2秒という加速力と、175km/hの最高速は当時としてはトップクラスの性能であった。
しかし、フェイスリフトをもってしても販売は伸び悩み、1968年までに販売された台数はわずか2050台あまりと販売面では成功していない。


その一方、2600のスポーティーバージョンのスプリントとスパイダーは逆に人気を呼んだ。


“1962 2600 SPRINT”
直列6気筒 DOHC 2584cc 145ps/5900rpm 最高速200㎞/h
基本的に2000スプリントと同等のデザインだが、ボンネット上にエアスクープがあることに注意。



“1965 2600 SZ”(left) “1962 2600 SPIDER”(right)


スパイダーは2000スパイダー同様にカロッツェリア・トゥーリングのデザイン。


2600SZはザガート時代のエルコーレ・スパーダによるプロトタイプが好評だったために生産化されたもの。価格が397万リラと高価だったにもかかわらず105台が生産された。
個人的にはヘッドライトまわりがモッサリしていて好みではないのだが、当時はボディに合わせた変形ヘッドライトが無理だったというのもあるかもしれん。