1965 Japanese Slotcar Scene


 1965年5月に発行された雑誌「模型と工作 モデルカー・レーシング ハンドブック」。日本モデルカーレーシング連盟編とある。
 巻頭に「モデルカー・レーシングのはじまり」日本モデルカー・レーシング連盟会長 土方健一氏による記事があるが、それに次のように書かれている。

最近レースに活躍して皆さんもご存じの横井進さんです。彼の家へ行ってみると、2階の六畳間に、足の踏み場もないくらい手製のサーキットができていて、これも全部自製のクーパーやベンツ300SLを電気で走らせていました。コントローラーをかりてやってみると、これがなかなか面白いのです。こちらもゴム動力はいろいろやって、限界がきている時だったので、よし、それではMRC(ミニチュア・レーシングカー・クラブ)もこの電気式に切換えようということになったのです。これが今から2年前のことになりますから、丁度アメリカでブームが起こった時と同じ時期になります。

この記事によれば、日本でスロットカーが始まったのは1963年ということになる。ゴム動力という表記があるが、最初、土方氏たちはゴム動力の模型で遊んでいたようだ。
http://bit.ly/oqafJg

それと、マブチモーター関係者・野口一郎氏による証言も掲載されている。

 1961年1月頃、イギリスのメットイ社からMrカーツという人が、小型モーターでは東洋一いや世界一の生産するメーカーと聞いて当社を訪問してくれました。その時はハイウェイカーという、巾1インチ全長2,1/2インチ位の電磁石によるバイブレーションを利用して走るモデルカーを持参し、このカーをモーターライズしてスピードが出るような設計をしてくれないかという依頼を受けました。
 私たち技術陣は、初めこのモーターを手造りをしているうちに、相手会社の熱心な要求に心を打たれました。
(中略)
1963年8月、初の輸出となり、このモーター(FT-16、FT-36)の出現は米国のロスアンゼルスのモデルカー・レーシング場を初めとして、全米各所で大きな人気を呼び、モデルカー・レーシングを盛んにしたのです。

メットイ社のその後はわからないが、スケーレックストリックにマブチ・モータが搭載されているし、米国のスロットカーはマブチ・モーターが陰で支えていたようだ。




原宿サーキットの風景。もともとはバー、喫茶店であったようだ。雰囲気は子供が出入りするようなものではない。大人の社交場のようだ。



上のハードケースは、映画007、ジェームズ・ボンド愛用のレプリカ。




サーキットはボーリング場に併設されたものが多かったようだ。