Facel Vega Facellia Coupe 2+2


水冷直列4気筒 DOHC 1646cc 115ps/6000rpm 最高速度188㎞/h

三河自動車主催の神宮外苑イベントでの展示車。
Facel Vega は知る人ぞ知る、フランスの高級車メーカーだった。




Facel Vega の FACEL とは Forges et Ateliers de Construction d' Eure et de Loire(ユール・ロワール鋳造工場)の頭文字からきている。本来は第2次大戦直前、フランス政府による軍備拡張政策に沿って、商才に長けた Jean Daninos が設立した鋳造工場であった。
戦後1952年頃までには、パナールやシムカ、フォードに日産100台余りのボディを供給する大手ボディ・メーカーに変身していた。
そして1954年のパリ・サロンにて豪華なクーペ“FV”が展示された。戦後の禁止税的政策で消滅した大型で高級な Grand routier の復活を目論んだのだ。デラヘイやブガッティの煌びやかな夢よもう一度ということだったようだ。

エンジンとミッションを自社製とすることはできず、エンジンはクライスラーの4.5ℓ V8で、それを同社のAT共々搭載している。
大きな格子型グリルの左右に、横長のグリルを配する特徴的な Facel Vega の顔は終生変わることは無かった。バンパー、グリル、ライト回りなどすべては Inox と呼ばれるステンレス製であるのも Facel Vega の特徴だ。
ちなみに当時の価格は約300万フラン。あのシトロエンDSの3倍の値段だったというから恐れ入る。短命に終わった同社の総生産台数(1954−1964)は3033台にしかすぎず、その殆どは北米市場に輸出されたようだ。

その後もエンジンのパワーはアップし、最終的にクライスラーのV8は6.3ℓ、355ps/4800rpmの怪物を3速AT(!)と共に搭載している。


話を神宮外苑の展示車に戻そう。
クライスラー製V8エンジンを搭載した Facel Vega は年間200〜300台という市場を確保して一応の成功を収めた。顧客の半分は新興成金で芸能人も多かったため、ある種のステイタスともなっていたようだ。




“英国四人囃子甲虫、太鼓演奏者所有車”


ところが、Jean Daninos は100%フランス製のクルマを造ることにとり憑かれてしまった。その夢を具現化したのが1959年パリ・サロンにてデビューした“Facellia”で、メルセデス190SLの市場を狙ったものだった。結論から言えば、このクルマによって会社は崩壊することになる。
ボディバリエーションは、 convertible , 4-seater coupe , 2+2 coupe の3タイプ。





1600のエンジンは Pont-a-Mousson 社に外注。元 TalbotLago の技術者 Carlo Marchetti の設計したエンジンは充分な耐久テストを行なわず生産化されてしまったらしい。新車にも関わらず、ピストンを吹きぬくという信じられないような故障が続発したのだ。原因は、シリンダーの冷却が悪いために、部分的過熱による焼損であった。
展示車の“F2”は、このトラブルを解消したモデルであったが、地に落ちた評判は回復せず、1964年 Facel Vega は静かに舞台から去ることとなる。



この個体は日本に輸入された3台のうちの1台で、日産が研究のために1961(昭和36)年登録したものと言われ、つい最近まで自動車雑誌編集者の女性が所有していた有名なもの。Facel Vega の運命と、ある女性の悲劇的な最後、何とも言えない組み合わせだ。


【関連URL】
http://www.facel-vega.asso.fr/