La Festa Mille Miglia 2014  1950’s


1951 FERRARI 340 AMERICA


1951 PORSCHE 356 PRE A


1951 GIAUR TARASCHI 750 SPORT


1953 FIAT PIETRO FRUA 1100


1952 PANHARD DYNA ALLEMANO 750


1952 ERMINI 1500S


1954 FIAT 1100 TV PININFARINA


1954 TRIUMPH TR2


1954 ASTON MARTIN DB2/4


1956 FIAT 1200TV


1954 FIAT 1100TV


1955 LANCIA AURELIA B24


1957 MASERATI 200 SI


1957 BANDINI 750 SAPONETTA


1955 ABARTH 207A SPYDER


1958 FIAT ABARTH 750 GT ZAGATO


1958 AUSTIN HEALEY SPEEDWELL


1959 LANCIA APPIA ZAGATO GTE


1959 MG MGA FHC

TOYOTA MUSEUM CLASSIC CAR FEST  1961 Triumph Italia 2000 Coupe


 Triumph Italia 2000 Coupéは、1952年から1962年までの間に僅か 329台のみが生産された貴重なクルマである。Giovanni Michelottiによるデザインは、まさにイタリアの小粋なスポーツカーそのもの。Triumph TR3のシャシーにイタリアはトリノの Alfredo Vignaleがボディを架装。メカニカル部品も TR3のものが流用されている。
 当時、イタリアのナポリで Triumphの代理店であった CESAC社の Salvatore Ruffinoは、もっと美しいデザインの Triumphのクルマを造れば売れるだろうと考え、1958年のトリノ・モーターショーで2座のクーペを展示する。果たして Italia 2000は「イタリアの芸術とイギリスの技術との融合」と喝采を浴びる。



1958 Turin Motor Show Prototype


 ショーでの好評を受け、Vignaleは同年7月にプロトティーポのフロントエンドとヘッドライトなどの変更を行い、生産型の製造に取り掛かった。これにより Michelottiの Maserati 3500のようなイメージのデザインとなった。アルミニウムのボディはスチールに変更されている。マフラーは個性的で音の良い Ascari製が取り付けられた。Triumph製のオーバードライブのスイッチは、シフトノブ手前から、ダッシュボード左端に移設され、素早いシフトが可能となった。



イグニッション左側にあるのが、オーバードライブのスイッチ。



とても TR3(left)がベースとは思えないほど Italia 2000 Coupeはモダーンだ。



 Ruffinoは、北米市場を視野に 1000台規模の生産を計画し実行に移す。当時 720店舗あったTriumphのディーラーとも販売契約を結んだ。しかしながら Triumph社は懐疑的で、カタログモデルにすることは拒まれることとなる。果たせるかな、金融と労働問題により 1961年に Triumph Motor Companyは Leyland Motorsの傘下となってしまう。これが Triumph Italiaの生産販売に大きな影響を与えた。まもなく Triumphは Triumph Italiaの製造支援を中止。同じ Michelottiによるデザインの TR4の製造に力を注ぐこととなる。
 Triumphの撤退にも拘らず、Ruffinoは Italia 2000として販売を継続した。最も売れたのは北米市場で、マサチューセッツ州の Stutz Plaisted Importsによるものであった。1962年に製造は中止となったが、最後の在庫が完売するには3年後の 1965年を待つことになった。それには理由があって、$5,000(現在の価値で 1800万円ぐらい)という販売価格があまりにも高価だったことが大きい。これはスタンダードの TR3よりも $1,000も高かったのである。



Triumph公認時のカタログ。


Italia 2000 Coupéのカタログ。Triumph非公認なので Triumphの文字が無いことに注意。



Le Mans Classic 2012 2 GRID 1949 - 1956 Titleholders Part 7


1955 Austin Healey 100 S
BMC 2700cc 4cyl.
 1955年のル・マンでは Lance Macklinチームが 100 Sで参戦。28周でリタイアしている。
100hp/4500rpmにパワーアップする Le Mans Engine Modification Kitが Austinのディーラーで市販されて好評だったようだ。



1950 Jaguar XK 120
Jaguar 3442cc 6cyl.
 1950年のル・マンでは P.T.C. Clarkチームが XK 120で参戦。230周で12位となっている。



1955 Jaguar XK 140 FHC( Fixed Head Coupé)
Jaguar 3442cc 6cyl.



1950 Jaguar XK 120 Roadster
Jaguar 3442cc 6cyl.



1955 Jaguar Type D
Jaguar 3442cc 6cyl.
垂直ウィングが無いのが新鮮。



1952 Jaguar Type C
Jaguar 3442cc 6cyl.
こちらは色が新鮮。



1955 Triumph TR2
Triumph 2000cc 4cyl.
ワークスチームが 1955年のル・マンに参戦。14位でフィニッシュしている。

Le Mans Classic 2012 3 GRID 1957 - 1961+ Entrants Part 3


1962 Abarth Simca 1300
Simca 1300cc 4cyl.



1959 Lotus Elite (right)
Coventry Climax 1200cc 4cyl.
1959 Lotus XV (left)
Coventry Climax 2000cc 4cyl.



1959 Saab 93
Saab 700cc 3cyl (2-Stroke).




1958 MG A 《 Twin Cam 》
MG 1600cc 4cyl.



1959 Triumph TR3
Triumph 2000cc 4cyl.



1961 Lotus Elite
Coventry Climax 1200cc 4cyl.




1961 AC Ace Bristol
Bristol 2000cc 6cyl.

The World's Worst Cars Part9



PANTHER RIO(1976-1978)
人気のあった Triumph Dolomite Sprint の高級仕様として作られたクルマ。
ロールス・ロイス風のグリルからして品が無く、クロムメッキもはがれやすい粗悪品。内装もテカテカのウッドで70年代の悪趣味が漂う。その内装に重量がかさみ、ベースのドロミテ・スプリントよりも鈍重で機敏な運動性能も損なわれたものとなった。最高速度は僅か185㎞/h。問題はその価格にあり、ほとんどロールスが買える値段という高価格車。2年間で、わずか38台しか生産されなかった失敗作だ。
こちらはベースとなった、Triumph Dolomite Sprint

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