Le Mans Classic 2012  1GRID 1923 - 1939+ Entrants


1935 Lagonda LG45
Meadows 4469cc 6cyl.



1936 Lagonda LG45
Meadows 4469cc 6cyl.



1937 Lagonda LG45
Meadows 4469cc 6cyl.



1937 Lagonda LG45
Meadows 4469cc 6cyl.

 Lagonda LG45は1935年のル・マン24時間に於いて、Arthur W. Fox & Charles Nichollチームの#4 Johnny Hindmarsh / Luis Fontés組によってAlfa Romeo 8C 2300を振り払い、堂々優勝の栄冠を勝ち取ったクルマ。同年、W.O. Bentleyの指導のもとにセミ・ワークスの Fox & Nicholls チームに4台が納車されている。内2台は当時のル・マンの規定で4シーターとされ、後の2台はスポーティーな2シーターとなっている。
 ル・マンスペシャルはAlan Hessに貸与され、雨のBrooklandsサーキットに於いて連続1時間の速度記録104.4 miles/hを記録。英国最速のクルマとなった。
 その後、Frank Freelyの架装により LG45 Rapideという名のロード・ゴーイング・バージョンが25台制作された。この Rapideは、今日アストン・マーチンの高級4ドア・サルーンの名として引き継がれている。
 



1938 Lagonda V 12
Bentley 4469cc V12.
Lagonda V 12は 1939年のル・マン24時間に於いて、総合で3位と4位、5リッター・クラスでは1‐2フィニッシュでクラス優勝している。V12エンジンは DOHCで180馬力、最高速度は 160km/h以上。
Brooklandsでの500マイル・レースに於いてBentleyを打ち負かし、大いに溜飲を下げたと言われている。




1929 Chrysler 75
Chrysler 4086cc 6cyl.
 Chryslerの創業は1924年。創業4年目の1928年にはル・マンに参戦。72が3‐4位を占めた。75は、1929年のル・マン24時間に於いてフランス人ドライバー Henri Stoffel
/ Robert Benoist組により6位入賞となっている。





1931 Invicta S-Type
Meadows 4469cc 6cyl.



1931 Invicta S-Type
Meadows 4469cc 6cyl.

 Invictaは英国のスポーツ・カー・メーカー。1924年にレーシング・ドライバーであり、エンスージアストでもあった Captain Albert Noel Campbell Macklinが設立した。
彼が目指したものは、Bentleyや Rolls-Royceのような良質のスポーツ・カーを造ることであった。この野心的な計画を実現するために、裕福な実業家 Oliver と Philip Lyleの支援を受けることになる。
 1925年に最初に世に送り出された Invictaは、Coventry Climaxの4気筒エンジンを搭載。その後直ぐに Meadows社の直列6気筒 2.5リッター・エンジンを搭載するようになった。 Macklinの指示により、ロング・ストロークでトルク重視となっていた。次の年には3リッターに拡大、最終的に排気量は4リッターとなった。それにより高性能となったが、高価なクルマとなった。しかしながら、レースとスポーツ・カーを好む富裕層の支持を得て、業績は順調であった。
 Invicta社で一番有名なモデルは、1930年の Olympia Showに出展された S-Typeである。その特徴は 'underslung'と称された、当時としては画期的に低いシャシーにあった。 Reid Railtonによって設計されたシャシーは、リア・アクスルをシャシー・フレームの上に設置することにより、車高を低くしたものだった。これを採用するクルマは以前から存在していたが、走行性能向上のために量産車に採用されるのは初めてのことだった。
 S-Typeは市販車としてデビューする前年の 1929年のル・マン24時間に参戦。13位でリタイアとなったが、その後、コンペティションで活躍し、1931年の Monte Carlo rallyでは、あの Donald Healeyの操縦により、英国車として2度目の優勝をもたらし、 Raymond Mays (後の ERA と BRMの創設者)は Brooklandsサーキットで数々の記録を打ち立てた。
 レースでの勝利によって名声を打ち立てた S-Typeであったが、 Macklinの「良質なクルマを提供する」という信念により、1台1台が厳選された部品によって組み立てられ、尚且つシャシーは当時としてはオーバー品質のニッケル・クローム鋼を採用していたのが経営を圧迫、それでなくても世界恐慌直後の30年代は高額なスポーツ・カーが売れる時代ではなくなっていたのである。
会社は 33年には生産中止に追い込まれ、モーター・スポーツに名を残した S-Typeは総生産台数77台で短い生涯を終えることとなった。




Donald Healey celebrates winning the 1931 Monte Carlo Rally alongside his victorious 4.5-litre Invicta S-Type.

1938 Lagonda Rapier




徳大寺さんの著書「徳大寺有恒からの伝言」に次の記載がある。

渡辺 本多宗一郎さんの息がかかった人たちが、定年なんかでどんどんいなくなっているという現状がありますよね。いわゆる「オヤジ世代」といいますか。その点に関してはどうお考えでしょうか?
徳大寺 ホンダはそこに危機感を持ってるはずだよ。宗一郎さんから続く社長なんて、みんなカーガイでさ。川本さんなんて戦前のラゴンダやアルファロメオ(ジュリエッタ・スパイダー)なんか持ってて、それを自分で直して走らせようとしてたんだよ。あんな企業のトップがさ、そういう気持ちを忘れていないんだよね。彼らは最先端を提供するという使命の企業トップでありながら、やっぱり温故知新って言葉をよく理解していて、過去に敬意を払っていたんだよ。でも、今のエンジニアと話をすると、過去に学ぶものはないって感じなんだよ。老婆心だけど、そりゃあどうかなと。

 この Lagonda Rapierは、その本田技研工業社長であった川本信彦さんのクルマである。元々は小林彰太郎さんの御友人が所有していた個体としても有名なクルマだ。


 Lagonda Rapierは、1934年から1935年にかけて、英国 Lagonda社が製造した小型車である。その後、数台は Lagondaから独立した Rapier Car Companyにより製造された。

 Lagondaは高級大型車が専門であったので、設計は外部に委託された異例の車である。クルマの心臓部であるエンジンは、新設計の直列4気筒 1104cc DOHCエンジンである。このエンジンを設計したのはコンサルタントの Thomas Ashcroft (known as Tim)で、“英国最良の 1100ccエンジン”と称されたもの。もともとは軽合金製として設計されたのであるが、コストの問題で鋳鉄となり、かなり重たいものとなった。出力は 51ps/5400rpmと、当時としては優秀な値である。エンジンの生産は下請けの Coventry Climax社によって行われた。

 シャシーは Charles Kingによって設計され、スチール材をセクションごとにボルトで結合する構造となっている。ギアボックスは、操作の簡単なプリセレクタ4速。ブレーキは Girling製、ロッド操作 13インチのドラム・ブレーキ。半楕円スプリングのサスペンションは、フリクション・ダンパーによって制御されている。

 1933年のロンドン・モーター・ショーにてお披露目されたオリジナルは、2305mmのホイールベースであったが、後に幅広い需要に応えるために、2508mmに拡張されている。工場では £270でシャシー一式を提供、顧客はそれに好みのボディをオーダーした。ほとんどのクルマは E. D. Abbott Ltdのボディを架装した。Abbottの4シーター・ツアラー・ボディ完成車は £368で販売された。他のボディ架装メーカーには、John Charles, Maltby, Eaglesなどがある。

 1935年、Lagondaが倒産すると、 Rapierを生産する権利は、Alan Goodによって再建された LG Motors (Staines) Ltdが引き受け、新会社 Rapier Cars Ltdが受け継ぐこととなった。4人乗りツアラーは£375で販売されている。 生産は1938年まで続けたが、わずか46台の車が作られたに過ぎなかった。



ATのようにゲートがあるプリセレクタ4速が見える。




“英国最良の 1100ccエンジン”