MONACO HISTORIQUE 2016  GORDINI T11/15


1947 GORDINI T11

 1899年、Amedee Gordini は、イタリアはボローニャ地方の非常に貧しい家庭の四男として生まれた。農園で働いていた父親は彼が8歳のときに亡くなったため、11歳になると学校を辞めて、最初は農業労働者、その後は馬車や自転車の修繕をして一家の生活を支えた。その後、キャブレターで有名となる Eduardo Weberと親しくなり、 Isotta-Fraschini製の航空エンジンの製造とテストに携わっていた Alfieri Maseratiと仕事をすることになる。
 後に、単身パリに移住を果たし、フランス国籍を取得していた。

 1935年、フィアットはフランスでの高課税対策として、フランス国内で製造する目的でシムカ社を設立。SIMCAとは「自動車車両車体工業会社」(Société Industrielle de Mécanique et Carrosserie Automobile )という意味。ゴルディーニはシムカから資金援助を受け、シムカ車のチューニングとレース活動を開始する。
ゴルディーニは大成功を収め、なかでもフィアット1100のフランス版、シムカ8をベースに、ゴルディーニは、当時としては空力的な2シーター・レーシングボディを架装。このモデルは速かったようだ。
 
 第二次大戦後、ゴルディーニはフランスで最初に成功したレーシング・コンストラクターとなった。そのマシンが Simca-Gordini T11である。大戦後の荒廃したフランスで新たなマシンを設計することは困難を伴った。資金もない中でエンジンを新設計するがパワーは望めなかった。そこでゴルディーニはボディの軽量化で挑戦し、資金調達も僅かなもので新型マシンを投入する。それが Gordini T11のあらましである。

 エンジンの設計は1944年から開始。直列4気筒、1100ccのシムカ製エンジンがベースとなった。ツインキャブレターにより、6000回転で75馬力を叩き出すまでチューンされた。1948年には110馬力にまでパワーアップされている。いずれにしても元は小排気量の小さなエンジンだった。

 シャシーはその小型のエンジンを囲むように構築された。葉巻型のボディのノーズには卵型にデザインされたラジエターとオイルクーラーが備わっている。

 サスペンションはフロントが半独立懸架、リアは古典的なリジッドだった。ブレーキは4輪ドラムで冷却フィンが追加されている。

 ドライバーシートに座るとわかることだが、本当にボディが小さいことを実感できる。ステアリングを握ると、肘がボディの縁に触れる位置にある。シートの後方は丸みを帯びた小さな燃料タンクだ。

 1気筒当たり点火プラグは1本、マグネトーひとつ、そして4速ギアボックスと、拍子抜けするほど本当に何の変哲もないエンジンとメカニズム。しかしながらマシンは軽く、回頭性は高かった。実際にマシンはファンジオを含むレーシング・レジェンドたちによって無視できないポテンシャルを現していった。天候の良いサーキットでは、よりパワフルなアルファ・ロメオと競り合うことができたのだった。
 1948年のモナコGPではJean-Pierre Wimilleにより2位となっている。



1952 GORDINI T15

 1950年に新しく組織されたFIAによるF1グランプリレースが設定され、その規定に沿ってT11のエンジンをアップデートしたのがT15である。すなわち直列4気筒エンジンは排気量1500ccとなり、スーパーチャジャーにより過給されることにより160馬力と大幅に戦闘力は高められた。
 ゴルディーニのチームはプリンス・ビラやポール・フレールをドライバーに迎え入れた。しかしながら結果はかんばしくなく、F1最初の開催年である1950年の勝ち点3ポイントが最高得点であり、その後は走るシケインと化していたのである。

LE MANS CLASSIC 2012 Concours d'Elegance des 24 Heures Part 7




The Amédée Gordini #38 Simca Huit Gordini (s/n 823 885) as raced to 23th place(Did not finish) at Le Mans 1938 by Jean Viale - Jean Breillet.
Fiat 1088cc 4cyl
このマシンは翌年も挑戦し、13位でゴールしている。






The Guy Lapchin #54 Panhard Dyna X84 Sport as raced to 40th place(Did not finish) at Le Mans 1950 by Guy Lapchin - Charles Plantivaux.
Panhard 611cc Flat Twin
空冷フラットツイン! これぞフランス魂。

LE MANS CLASSIC 2012 Concours d'Elegance des 24 Heures Part 6



The Équipe Gitanes #7 Matra-Simca MS670B(s/n 06) as raced to 1st place at Le Mans 1974 by Henri Pescarolo - Gérard Larrousse.
Matra 2993cc V12

74年のル・マン24時間、残り5時間という時にギアボックスの故障で50分もタイムロスしたにも拘らず、2位のワークス・ポルシェのターボ・カレラRSRに6周もの差をつけて優勝したマシンそのものである。






The Automobiles Gordini #33 Gordini T18S(s/n 20 S) as raced to 41th place(Did not finish) at Le Mans 1950 by Henri Juan Manuel Fangio - José Froilán González.
Gordini 1491cc Supercharged 4cyl

ファンジオがゴルディーニでル・マン24に出場していたとは知らなかった。点火装置とキャブレターの故障で予想通りのリタイアですが。。。

LE MANS CLASSIC 2012 Concours d'Elegance des 24 Heures Part 2



The Scuderia St. Ambroeus #39 Alfa Romeo Giulietta Sport Zagato as raced to 10th place at Le Mans 1962 by Giancarlo Sala - Marcello de Luca di Lizzano.
1962年のル・マン参戦時、オリジナルのボディ・カラーは白でした。
4cyl 1290cc






The Ecurie Fiat-Abarth France #46 Fiat Dino as raced to 16th place at Le Mans 1968 by Marcel Martin - Jean Mésange.
6cyl. en V - 1986cc







The Société des Automobiles Alpine #29 Alpine A220 as raced to 26th place at Le Mans 1968 by Jean Guichet - Jean-Pierre Jabouille.
Renault-Gordini V8 3000cc
このショートの個体、おそらく想像するにル・マン・レース後にロング・テールをぶった切ったものと思われます。テールの荒い処理に、それが伺えます。。。
どう見ても、ロング・テールの方が美しいですね。



同 No1731シャシーは、翌69年のル・マン24時間にも投入され、24位でリタイアとなっています。
Gordiniが開発したV8エンジンは、インジェクション全盛の時代にキャブレターを使用するなど時代遅れであり、ライバルと比べて100馬力もパワーが劣った使い物にならない代物であった。ル・マン惨敗後、アルピーヌによるル・マン挑戦は終演し、彼のルノーに於ける地位は失墜していった。
今日、Gordiniをプレミアム・ブランドとして復活させているルノーの所業はブラック・ユーモアにさえ聞こえてくるとしたら言いすぎだろうか。。。