1964 Catalogo Mondiale dell'Automobile から気になったクルマ
Aichi Machine Cony 360 Giardiniera
ABC順に並べられている、この本で、最初に出てくる日本車です。
最高速度が75km/hと世界最低の地位を誇っておりました。ちなみに287km/hが最高で、Ferrari 250 LMとなっております。
エンジンはフロア下のミドシップ! 凝ってますねぇ。
奇しくも最低と最高が同じミドシップだったわけですね。
Alfa Romeo Dauphine
アルファ・ロメオの一番手がコレ。言わずと知れたルノー・ドーフィンです。お互い公団だったので話が早かったか。フランスでのアルファ・ロメオ代理店はルノー公団がやってました。
Bambi Coupe
アルゼンチンのクルマで3輪車。エンジンは191cc単気筒。バイクのエンジンのようです。それでもコニーよりも速い、最高速度は80km/h。
Apollo GT Coupe
フェラーリ・ルックの謎のクルマ、アポロ。アメリカ車で、エンジンはお得意のV8を搭載。
Bond Equipe
英国らしいゲテモノ調のボンド。直列4気筒1,147ccエンジン。
Daihatsu Sport Cabriolet
この流麗なボディは、多分ヴィニャーレなのでしょう。まだコンパーノがライトバンしかなかった頃に、ショーカーで出したもの。このまま出ていれば名車ですね。
1967 4th NIPPON GRAND PRIX 公式プログラム
NISSAN R-380
第4回日本グランプリの話題は宿命の対決、日産(プリンス)ワークス R-380 VS プライベート Porsche 906との戦いであったが、日産とプリンスの合併後のレースはピット内ではギクシャクしたものが生まれていたようだ。合併により日産ワークスから干されてしまった生沢徹は見事 906で優勝する。
HINO SAMURAI
映画スター三船敏郎率いるサムライ・チームは、日野コンテッサをベースとしたピート・ブロックによるヒノ・サムライでエントリーするも車検失格となった。プライドが傷つけられた三船敏郎は激怒したがレース参加が許されることは無かった。この間の事情に関しては塩澤進午氏の著書に詳しい。驚くべきことにサムライは練習走行中にエンジンを壊し、日野ブリスカというピックアップ・トラックのエンジンに載せ換え出場しようとしていたのだ。DOHCエンジンのスペアは無かったのである。
DAIHATSU P-5
予選で基準タイムの2:20を切ることができずに敗退。本戦に出場することなく終わった。
フォーミュラー・レースは今大会から本レースに格上げされた。
Special thanks to Mr Ueno.
1968 1st TOKYO RACING CAR SHOW
1963年に開催された第1回日本グランプリをもって、日本のモーター・スポーツの歴史は幕を開き、その人気はうなぎ登り。そしてついに1968年、ロンドンのレーシング・カー・ショーに触発されて東京レーシング・カー・ショーが開催された。
あの東京xx都知事は「オートスポーツを楽しむ会会長」。東京マラソン止めて、都内で公道レースやりましょうよ。
以下、展示予定車から。
1967 HONDA F1 MONZA
V12 2992cc 420ps/10500rpm
DEL RSB
V8 OHV 2599cc 165ps/6500rpm
エンジンはクラウンのV8。
HINO CONTESSA V8
V8 OHV 2599cc 115ps/5800rpm
日野コンテッサにクラウンのV8を搭載した怪物。
Avenger GT
VWビートルのシャシーにグラス・ファイバーのボディを架装したキットカー。
http://www.hobidas.com/blog/j-tipo/desktop/archives/2010/06/avenger_gt.html
Daihatsu P5 / P3
今じゃ、軽自動車しかないけれど、昔はプロト・タイプで積極的にレースに出ていたダイハツ。
資料提供は、スロットカー仲間のUさん。有難うございました。