MONACO HISTORIQUE 2016  Lister Bristol  1955

1954年、レーシングドライバーであり、ケンブリッジの鉄工所の経営者であるブライアン・リスターがオリジナル設計の車両を開発したことからリスターの歴史が始まった。
クーパーに触発され、ラダータイプのスペースフレームシャシーを持ち、ド・ディオンアクスル、インボードドラムブレーキという構成の軽量な車両であった。この頃の他のビルダーと同様に、改造したMG製エンジンとトランスミッションを使用した。
ドライバーには「隻腕の名手」アーチー・スコット=ブラウンを据え、オウルトン・パークでのデビューレースに臨んだが、パワー不足が目立った為にすぐにブリストル製2リッターエンジンに交換。更にいくつかの改良を施して、シルバーストーンでの英国グランプリのサポートレースに出走した。リスター・ブリストルは2リッタークラスではあっさり優勝、総合でも5位入賞を果たした。ジャガー・Cタイプに負けることはなく、上位にはアストンマーティンのワークスカーしかいないという快挙であった。この年、数々のレースに出走し、マセラティ、クーパー、ロータスブリストルなどのライバルに対して勝利を重ねる。(以上 Wikipediaより)

川上完メモリアル in 湯沢  ヒコーキ少年 川上完さんの愛車たち

今年の5月7日に67歳という若さで突然この世を去った、川上完さんへの追悼の気持ちを込めて、クルマ好きのミーティングが新潟県の湯沢にて開催された。クルマと飛行機をこよなく愛し、ミニカーのコレクターとしても有名だった彼を偲びつつ、彼が愛したたくさんのクルマとともに楽しく、和やかにお別れをしようという主旨のイベントには、川上さんの人徳のなせる業から、宿泊先のホテルは貸し切りとなり、多くのクルマと人が集うこととなった。生憎の台風一過であったが、貴重なクルマが雨ざらしとなりながらも参加してくれて、参加した皆は心ゆくまで川上完さんのことと好きなクルマのことを語り合っていたようだった。

川上さんはヒコーキ少年として有名だった。

何を隠そう、僕は小学生の頃から「ヒコーキ少年」なのだ。とは言っても、CGの小林彰太郎さんのように、グライダーの操縦や学徒動員の経験などまったくない、ただのデータオタクなのだが、そんなデータオタクが、ひょんなことから三菱ジープJ3Rを手に入れ、続いてスバル360なんぞを揃えてしまったから、さあ大変、本人は三菱製“零戦”と中島飛行機製“隼”の末裔を入手したと大喜びしてしまった。こうなると、次はスウェーデンのサーブあるいは英国のブリストル、あわよくば、フランスのヴォワザンなどと夢はふくらむばかり。
(川上完 著『もうフツーのクルマは愛せない』より)



SUBARU 360

この360を購入したのが1972年、川上さんが26歳の時である。既に三菱製のジープJ3Rに乗っていたが、幌からの雨漏りが酷く、「雨傘代わり」に中古で購入したものだった。友人の紹介で、お医者さんのセカンドカーが程度もそこそこで5万円(当時の大卒初任給ぐらい)ということで、クルマも見ずに雨の降る夜中にクルマを引き取りに行った。
引き取りから帰った翌日、お天道さまの下でクルマを見たら、そこには見るも無残な姿が。赤と言われていたボデイは、長年風雨に晒されていたせいでほとんど渋柿色になっており、プラスチック製のリアウィンドウは雨に濡れている間は後ろが見えていたが、乾いてしまうと摺りガラス状態で視界はゼロ。雨漏りのために3センチほど水がフロアに溜まっている。ルーフのシールがやれていたようだ。エンジンを掛けようとしたらスターターが回らない。バッテリーも駄目。思い出したのだが、昨晩帰る途中にギア鳴りもしていたし、ハブベアリングからも異音がしていた。ブレーキの効きも甘かったような、、、。
その後、レストアにお金がかかって、総費用は新車を買えるものとなってしまった。
しかしながら、その後はセカンドカーとして現役を維持。リペイントを2回、エンジン交換2回、サスペンション交換を1回しているらしい。奥さんにプロポーズしたのもこの360の中だったという。


Nakajima Ki-43 Hayabusa


SAAB 96

ブガティックの阪納誠一さんが川上さんをひやかして言っていたそうです。
「カンちゃん、いつまでそんなゴキブリみたいなクルマに乗っているんだ」
色はコックローチ ブラウン。ホイールキャップは100円ショップで売っている植木鉢の受け皿。まさに川上完スペシアル。


ヘッドライトワイパーが横に作動することに注意。


SAAB J35 Draken


フロントグリル内の大きな『B』のエンブレムは川上さん手製のもので、銀紙を貼っています。川上さんだから許される行為。



Bristol 406


Bristol bow fighter


Brochure "14e Salon de l'Aviation," 1934

パリ航空ショーは、1908年から今に至るまで続いている歴史ある航空ショーである。
今回紹介するのは、NOさんが所蔵する1934年のパリ航空ショーのカタログである。


(参考)1934年の航空界
http://ja.wikipedia.org/wiki/1934%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%88%AA%E7%A9%BA

この年のトピックスとしては、何といっても10月23日、イタリアのフランチェスコ・アジェッロが、マッキ M.C.72で 709 km/hの水上機の速度記録を達成したことだろう。もちろんエンジンはフィアット製V24気筒である。
これはレシプロ水上機の速度記録として2013年の現在も破られていない。

カタログには他にも、アルファ・ロメオやイスパノ・スイザ、ルノー等の自動車メーカー航空機部門の広告が見受けられる。

最後にコードロン・ルノーを簡単に解説しよう。これは、フランスの航空界の先駆者であるコードロン兄弟の会社を1933年にルイ・ルノーが買収したものである。
コードロンは1909年に、ガストンとルネのコードロン兄弟によって設立された航空機メーカー。彼らが生み出した航空機が民間人によって、多数の飛行記録が樹立した。また、彼らは世界初の航空機操縦学校を設立。そこからは世界初の黒人パイロットも輩出している。


http://www.centenaire-caudron.fr/

究極のクルマ道楽 “Bristol ” !?


誰が、どう見たって、世界一地味な超高級車ですなぁ。
70年代の英国田舎デザイン臭がプンプンなエクステリアは、ここまでくれば骨董品的な価値はあるのかも。
エンジンは、古くは戦前のBMW直列6気筒のコピーから始まって、クライスラー・カナダ製の化石のようなV8を搭載しておる。
そして、恐ろしいことには、現代のクルマであるにもかかわらず、エアバッグやESPなどの安全装備は一切付いていない。まさにクラシックなのである。

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